「キリストの共同体」(Tテモテ1章14〜15節) ( 1.1/2012 ) |
「その上、わたしたちの主の恵みが、キリスト・イエスにある信仰と愛とに伴い、ますます増し加わってきた。『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世にきて下さった』という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである。」(Tテモテ1章14〜15節) パウロという主イエスの弟子がいました。彼はイエスと出会って人生が変わりました。自分を「罪人のかしら」と呼ぶようになったのです。以前の彼は律法が生活の基準でした。けれども復活された主イエスに「あなたが迫害しているイエスである」という言葉をかけられて以来、人を苦しめる人生をやめて、人に苦しめられる人生を選ぶようになりました。 キリストによって出来た共同体はパウロのように転換点が必要です。社会の基準からキリストと出会い彼の基準に変えられる必要があります。パウロは懸命にエルサレム教会を助けます。異邦人教会と一緒になってこのことに務めました。支配する、支配されるという問題を越えて彼の心はキリストの愛に支配されていました。 私たちの共同体も律法や牧師やリーダーではなく聖書が「宝」と証ししているお方、すなわち、それぞれの心に中に住んでくださっているキリストに支配して頂きましょう。ただキリストによって救いに与ったことを証ししましょう。それは隣人のために重荷を負うことを意味するかもしれません。キリストに出会った罪人はキリストの愛を証しするのです。 |
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