「心をきよく保つ」(マルコ7章24〜30節) ( 1.22/2012 )
「その言葉で、じゅうぶんである。」(29節)

現在福島県内は多くの放射性物質が飛散した結果常に放射線の脅威にさらされています。また今後起こりうる差別を恐れています。先々週は、手を洗わないで食事をする主イエスの弟子たちが登場している所から学びましたが、今回もユダヤ人の習慣とは関係ない土地で生まれたスロ・フェニキヤの女性が登場します。(フェニキヤはヨシュアの時代の土地分割ではアセルの一族の領地となりましたが、ダビデ王の時代にはフェニキヤの領土になっていました。)すなわちユダヤ人たちが蔑んでいた人と主イエスが出会っています。

主イエスはご自分の弟子たちに対して外側の汚れに対して非常に寛容な態度を表していました。けれども外国人の女性に対して、その方を人としてでなく犬として表現する非常に蔑視した態度を示します。(主イエスも律法学者のひとりに過ぎないのか)と感じるところですが、ここではフェニキヤの女性が特異な態度を示します。それは自分の娘を「小犬ですけれども」と表現するのです。本当の心の「きよさ」をここから学ぶことができるのかもしれません。

すなわち心の中の「きよさ」とは、神が与える試練を悲観するのでなく、中傷する隣人を攻撃するのでもなくただ受け止めて、神は必ず解決を与えてくださると信じるそんな「きよさ」なのではないでしょうか。困難はこれからもたくさん起こると思います。それを受け止める勇気、それは神への信頼から来るのではないでしょうか。どんな苦境に立たされても心をきよく保つとき神が顧みて下さることを教えているのではないでしょうか。

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