「目を開け」(マルコ7章24〜30節) ( 1.29/2012 )
「天を仰いでため息をつき、その人に「エパタ」と言われた。これは「開けよ」という意味である。」(29節)

この箇所は神の国の発展性について語られています。日本語訳では「デカポリス地方を通りぬけ、ガリラヤの海べに」となっていますが、ギリシャ語では「ガリラヤの海へデカポリスの領域の真ん中へ」という意味だそうです。すなわち主イエスがデカポリスというギリシャ人の町の方の人生を変えその地方にその話が広まったというのがこの部分の内容です。

先日、小野町教会のことで町役場の方にあるお願いのお電話をしました。その対応を聞いて(なんて心の温かい町なのだろう)と感じました。主イエスが伝えた神の国も同様に彼の温かさがその地方に広まったのではないでしょうか。

地震や水害など今もその被害から立ち上がれない方々が沢山おられます。神の温かさはどこから現れるのでしょうか。先日地主さんの奥様から沢山の食料を頂きました。このご婦人を通して主イエスも懸命に生きた方なのではないかと思いました。隣人を立たせる力は自らが困難に立ち向かっている姿であり、その中から生まれる温かさなのではないでしょうか。温かい気持ちを受け取ったデカポリスの方々に神の愛に対する思いが開かれた、と教えているのではないでしょうか。

主イエスはこのところで民族の枠を越えてひとりの方のために働かれました。そして後の日にフランチェスコもウェスレーも命をかけて彼に倣おうとしました。彼らはどこに主イエスを見て心温められたのでしょうか。おそらく、身近にいたどなたかでしょう。私たちの人生もそういう意味でも尊いのです。立ち上がりましょう。

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