『悩みにあうに及んでの祈り』(歴代志下33章1〜13節) ( 2.19/2012 )
「彼は悩みにあうに及んで、その神、主に願い求め、その先祖の神の前に大いに身を低くして、神に祈ったので、神はその祈を受けいれ、その願いを聞き、彼をエルサレムに連れ帰って、再び国に臨ませられた。これによってマナセは主こそ、まことに神にいますことを知った。」(12〜13節)

神はその歴史の中で、アブラハム、そしてイスラエルを選び、やがて預言者サムエルを通して王を立ててくださいました。サウル王から始まってダビデ・ソロモンと続き、やがて南北に国が分裂した後も、次々に王が立てられていきました。国は弱くなり、外敵との戦いだけでなく、内政においてもいろいろな問題が起こり、立てられた王はその時代に翻弄されていくことになります。神が王に求めていたのは、神により頼む信仰であったにもかかわらず、いろいろな人々の渦中にあって、目に見えるものを畏れ、知らず知らずのうちに神を捨て偶像により頼んでしまうことが多かったのです。マナセ王の治世は55年という長いものでしたが、その中で彼も神を忘れ偶像礼拝を行ってしまいました。しかしマナセ王は悩みに合うに及んで、悔い改めて神を求め、神はその彼の祈りに応えてくださいました。長い人生の中には、神を見失うことや、神以外のものにより頼むことがあります。しかし大切なのは、自分が間違っていることに気付いた時、悔い改めて神に立ち返ることです。神はそのような人を喜び、祝福して下さるのです。あなたは今、神と共に歩んでいるでしょうか。もしそうでないならば、もう一度生ける神に立ち返ろうではありませんか。(説教 船田肖二牧師)

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