「イエスの変容」(マルコ福音書9章1〜13節) ( 2.26/2012 )
「エリヤがモーセと共に彼らに現れて、イエスと語り合っていた。」(4節)

主イエスが歩まれた御生涯に倣うことを、パウロはローマ人への手紙で勧めています。けれどもなかなか「彼と共に葬られた」(ローマ6章4節)と言っても、具体的に自分中心な生き方から逃れ、隣人の為に重荷を負うことは難しいのが現実ではないでしょうか。

主イエスは弟子3人を連れて山に登り、そこでその姿が変わりどんな布さらしでも、それほどに白くできないくらいになり、モーセとエリヤが現れ、主イエスと語られました。そして弟子達に語られた声があり、それは、「これはわたしの愛する子である。これに聞け」。であったというのです。

恐らく、ペテロもヤコブもヨハネも同様に主イエスの姿変わりはモーセ(出32章32節でいのちをかけて民のための執り成しをした指導者)とエリヤ(列王上18章でイゼベルと450人の預言者とひとりで戦った預言者)との交わりの結果だったと感じたのではないでしょうか。

ここでペトロは訳が分からず、的ハズレな発言をします。イエスとエリアとモーセの為にここに幕屋を建てると。すると雲の影が現れて弟子たちを覆い、雲の中から「この者は私の愛する子、これに聞け」と霊の声が聞こえます。と同時にイエス以外は消えて見えなくなります。

「雲の影が現れて」とは、神が降りてくることを象徴的に現す旧約聖書の表現です。「息子の言うことに耳を傾けよ」は申命記18章15(七十人訳聖書)、「あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者(息子)を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない」と似てます。

マルコは、エリアやモーセとの違いを、2人が消えてイエスだけが残った事で表現しています。ここで復活のイエスを予見しているのでしょう。またここで再度、イエスは「神から愛される人の子」であると示します。そして、これに聞けと天の声があった・・・理解の遅い弟子達よ、何事もイエスに聞きなさいと。

私たちは目標となる方を見つけ、その方のしていることの中で、真似できるものを見つけてチャレンジします。特別な勇気は無くても大丈夫です。目標は主イエスです。隣人愛を説いたイエス。神を愛することと隣人を愛する事、この他に戒めはないと言われました。隣人愛を実践する時、隣人の益とは何なのか、絶えずイエス・キリストに聞いて学ばせて頂きましょう。そうすれば私達自身も変身出来るでしょう。

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