『主と共に生きる』(テサロニケ人への第一の手紙5章1〜10節) ( 3.11/2012 )
「神は、わたしたちを怒りにあわせるように定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによって救を得るように定められたのである。キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。」(9〜10節)
   
厳しい寒さによって始まった新しい年も、3月を迎えることとなりました。震災から一年が過ぎ、これを機に新しい思いをもって歩みだそうとされている方も多いのではないでしょうか。神はわたしたちを愛してくださり、わたしたちを怒って、災いを与えようとされているのではなく、イエス・キリストによる救いを与えようとされています。この世では何かあると想定外といわれますが、神の前にはすべてがその手の中で行われており、神にあっては特別のことはないのです。神はその時代の預言者を通して、主の日が突然やってくることを警告しつづけてくださっています。しかし大切なことは、わたしたちが自分は何も知らないことを認める事、そして同時に、主がすべてを支配しておられることを信じて、いっさいの重荷と思い煩いを神にゆだねることです。これが平安を得るための土台となるのです。だからこそ、イエス・キリストは十字架の道を歩んでくださり、わたしたちがキリストと共に生きることができるようにして下さったのです。多くの人が神を知らず、不安に押しつぶされてそうになっているこの時代、その中にあって、わたしたちが主と共に生きることにより、どんな状況の中でも輝かせていただき、主にある希望を人々に与え続けることができるのです。(説教 船田肖二牧師)

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