「イエスの変容」(マルコ9章1〜29節) ( 3.11/2012 )
「これはわたしの愛する子である、これに聞け」(7節)

「陶器を造る者は、同じ土くれから、一つを尊い器に、他を卑しい器に造りあげる権能がないのであろうか。」これはローマ人への手紙9章21節の言葉です。モーセと言えば出エジプトの指導者、そしてエリヤと言えばイスラエルの歴史の中で最も有名な預言者です。共にイスラエルの人々が最も尊敬している人物です。彼らと主イエスが語り合った時、主イエスのみ姿が変わったと言うのがこのところの記事です。

その光景に感動したペテロは「小屋を3つ建てましょう」と的はずれの提案をします。そして、モーセとエリヤの姿が消えた後、天から声がかかります。それは、「これはわたしの愛する子、これに聞け」というものでした。モーセやエリヤ以上に尊ばれた主イエスに、これに聞けとはどういう事なのでしょうか。

主イエスの弟子達はこの後、悪霊に憑かれているという子どもを助けることができず、律法学者達や民衆に囲まれます。そしてそこに主イエスが登場して父親に語りかけます。「いつ頃からこんなになったのか」と。主イエスは病の子どもにでなく、その周りにいる家族に問いかけます。灰谷健次郎という作家も同様に障害を持つ子どもの家族に焦点を当てています。障害そのものに神からのメッセージがあるのだという視点です。そして主イエスに出会った父親は自分の不信仰を告白します。そして「助けてください」と不信仰に対して無力な自分をさらけ出します。

神は今も働いてすべてを導き、神の業をなさいます。主イエスの答えは「祈り」でした。絶望でも怒りでもどんな祈りでも、「わたし」の祈りの先には、「あなた」の神からの声を聞けるのではないでしょうか。その時にわたくしたちは、本来の「あるがままの姿」に変わるのではないでしょうか。

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