『地の塩・世の光』 (マタイ5章13〜16節) ( 5.2/2012 )
「あなたがたは地の塩である。」(5章13節)

序.天国の民の生き方ここで「地の塩・世の光となれ。」と言っているのではない。もうすでに、神の恵みによって「地の塩・世の光となっている」あなたがた、と呼びかけている。

1.地の塩塩と光は対照的。光は現れ、塩は隠れてその効力を発揮する。どちらもクリスチャンの姿。塩のようなクリスチャン。目立つわけではないが、周りに影響する。場がなごむ。また、塩は腐敗を防ぐ。周囲を清くしていく。塩気のないクリスチャンを警告している。それは世にも神にも役に立たない。水の中の舟のように、世から出ては役に立たないが、世と迎合し、同じようになっても役に立たない。クリスチャンは世にあって異質。だからこそ意味がある。

2.世の光光は隠してはいけない。内に頂いた神の命。それは隠さなければ輝く。光を隠しては、世に光はない。光もやはり世とは異質。だからこそ意味がある。内にある光を隠すと、自分の中の光もあやふやになる。真理に従う時、内にある光が燃えてくる。世にあって鮮明に旗印をあげよう。自分が輝くのではない。イエス様によって輝かせて頂く。

3.世の終りの裁き世と異質であることには戦いがある。しかし、真理に従う時、神は助けてくださる。神に捨てられることこそを、恐れよう。世の終りを待ち望みつつ、耐え、信じて神の変わらない御約束に従っていこう。わたしを愛し、わたしのために命を捨てられた方は、たとえ、世が私たちを捨てても、私たちを決して見捨てられることはない。「それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている。」(ピリピ2章15節)
(説教者:田代美雪牧師)

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