「入城デモンストレーション」(マルコ11章1〜11節) ( 5.6/2012 )
「すると多くの人々は自分たちの上着を道に敷き、また他の人々は葉のついた枝を野原から切ってきて敷いた。」(8節)

民衆は棕櫚を振って(敷いて)主イエス一行を迎えております。棕櫚などの枝を束にして振る(レビ23章40節)というのは仮庵の祭り(ユダヤ教のスコット祭)に行われる風習です。棕櫚の枝は後にハスモン朝がヘレニズム王朝から独立した時(バル・コホバの反乱の時、紀元132〜135)に発行されたコインに描かれていて解放の象徴として用いられています。

11節には彼らは「宮に入りすべてのものを見まわった後、もはや時も遅くなっていたので、12弟子と共にベタニヤに出て行かれた」とありますので、この行進はエルサレムに向けたデモンストレーション行為ではなかったかと思われます。その日は、ベタニヤで準備し、子ロバと共にベテパゲ、エルサレムと行進し、そしてベタニヤに戻っています。つまり、この行進自体に深い意味があったのです。

8節に「多くの人々は自分たちの上着を敷き」とありますが、祭りで多くの人々が入城します。イエスの足元には多くの人々の上着が敷かれました。人々はダビデのような王を迎えるために、上着を敷物として歓迎の絨毯を作ったのでしょう。しかし、柔和な子ロバに乗るという行動が象徴するように、あくまでも柔和に、暴力や武力で相手を自分に従わせない者として、終焉の地エルサレムに入ります。ゼカリヤ書9章9節の「見よ、あなたの王が来る。彼は神に従い、勝利を与えられた者、高ぶることなく、ろばに乗ってくる。雌ろばの子であるろばに乗って」という言葉の実行です。真の勝利者は決して高ぶらず柔和で謙虚なロバに乗って来る。続けてゼカリヤは、「わたしはエフライムから戦車を、エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ、諸国の民に平和が告げられる」、この世界を善く治める者は、戦車や軍馬や弓といった軍事力には頼らない、むしろそういうものを廃絶する、そうでなければ真の平和は告げられないと言います。イエスはエルサレムにいる宗教権力者・差別する者に対し、自分は暴力的革命を起こす者ではなく、平和を伝えるメシアとしてデモンストレーションを行いましたが、それは苦難の道でもありました。

イエスは最後の日々、裏切りと辱めと十字架刑、あらゆる精神的・肉体的な苦痛に耐え、その中で「ののしられてもののしり返さず、苦しめられても人を脅さなかった(ペトロ一2章23節)」、そのために命を捧げられた。これは決して「無駄な死」ではなく、世界の歴史に大きな一頁を刻む、大地に落ちた一粒の麦。その死は多くの実を結びます。そしてこのイエスに復活の光が与えらました。私たちにも、この光り輝く・愛すべき・希望のお方がおられる事を忘れてはなりません。(ルカ7章13節)

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*イエスはエルサレムに入ると象徴的なデモンストレーションを行い、預言者的行動で多くの人にアピールしました。祭をひかえて都は大賑わい、格好のデモンストレーションとなります。預言者の伝統的行為として、イザヤは裸足で(イザヤ20:2)、エレミヤは壺を砕いたり、軛を自分の首にかけ(エレミヤ19:10、27:2)抗議行動をした。エゼキエルも再三奇矯と思われるデモンストレーション行為(エゼキエル4、5章など)を行いました。

*イエスが子ロバでエルサレム入りした際に、巡礼者が上着を道に置いたのは、当時のユダヤ民の上着は、男性はタリートと呼ばれる3mを超える長い長方形のウールの衣(房がついているところが女性と異なる)で、外出時に下着の上に身につけるものでした。上着は時に他の用途にも使われました。敷物の代わり、物を包み、砂埃よけ、夜具(当時現在の布団などはなかった)など。巡礼者が上着を敷いた意図は、王メシア入城の際の歓迎の敷物としてでしょう。

*イエスが用いられた子ロバは、私たちのこの小さな教会をも示していると感じます。つまり、主は私たち小さな教会を神のために用いようとされているのだと。小さな教会であっても信仰が生きていればいい、貧しくても喜びがあればそれでいいと思います。教会は仲良しグループではありません。狂信的グループでもなく、熱狂的グループでもありません。熱心に内にだけに語るグループでもありません。貧しくても、誰に対しても大きく心を開いた教会であればいいと思います。

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