『福音の前進に役立つ』(ピリピ1章12〜17節) ( 5.20/2012 )
ピリピ教会の設立から約10年後、パウロはローマの獄中にいました。ピリピ教会はパウロの安否を心配しエパフロデトを派遣しました。しかし、そのエパフロデトがローマで瀕死の病気になってしまいパウロは彼をピリピに帰しました。その時に持たせた手紙がこのピリピ人への手紙です(ピリピ2:25-30)。この手紙は、特にパウロ自身の証と、主にある熱い心情が吐露されています。パウロは処刑を待つ身でありながら、主にある「喜び」に満ちあふれているのです(4-6)。

T「わたしの身に起こった事」

わたしの身に起こった事 (12)とは、パウロの投獄は、つらく悲しい出来事です。パウロ自身の生命と健康が心配です。もし、パウロが処刑されたらと考えると、ピリピの教会だけではなく、初代教会の行く末はどうなるのか心配です。「神は、なぜこのような苦難を許されるのか、神にとっても決して得策ではないはずなのに」と神への不信すらも起こる状況です。「わたしの身に起こった事」とは、有無を言わさず容赦なく巻き込まれてしまった状況に見えます。驚き、悲しみ、疑いの感情がわきあがります。しかし、「知ってもらいたい」(12)。そこには、人知を超える神のご計画があるのだと、パウロは確信しているのです。

U「福音の前進に役立つ」

パウロは、自分の投獄が「福音の前進に役立つようになったこと」をピリピの人に知ってもらいたかったのです。困難な状況に遭遇して、悲しみ、後悔し、座りこんでしまうこともあるでしょう。しかし、そこに「福音の前進」があるとしたら、そのことを喜べるのではないでしょうか。人の力ではなく、福音そのものが持っている神の力が、福音を前進させていくのです。自分の身に起こったことが福音の前進に役立つようになったとすれば、何という喜びでしょう。(説教者 小岩裕一牧師)

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