他者への配慮(Tコリント16章10〜24節) ( 6.14/2010 )
「わたしの愛が、キリスト・イエスにあって、あなたがた一同と共にあるように。」
コリント人への第一の手紙16章24節

このコリント人への手紙の16章は、ユダヤ人から宗教的にさげすまれていたコリントの町に住んでいたクリスチャンたちが、逆にユダヤ人たちの教会のために献金を準備していたことが記されているところです。
献金を受ける側もささげる側もそれぞれ信仰が必要ですが、コリントの教会には確かに与える愛を示されたイエス様の恵みが溢れていました。

この手紙の最後の段落に「主を愛さない者があれば、のろわれよ。」(21節)というきつい言葉が記されています。おそらくさまざまな教えと具体的な指導がこの手紙でなされていますがその核心の部分は「主を愛すること」であることをどうしても伝えたかったのだと思うのです。

それは遠い存在の神様問題ではなく、お金の絡む具体的問題でした。派遣された伝道者の受け入れ問題、教会員との助け合いや遠方の外国人教会への支援問題についてその真っ只中にイエス様の愛があることを、離れて暮らしているパウロがコリントの教会の人々に「わたしの愛が、キリスト・イエスにあってあなたがた一同と共にあるように」と「愛」を伝えた時に具体的な形が示されました。すなわち個人的好みに合わせて愛するのでなくキリスト・イエスのメッセージが愛であったことを人々は確認したのだと思うのです。

15節から18節までは、特に著者であるパウロがコリントの教会の人々に勧めをしている大切な部分です。そこには身をもって聖徒に奉仕をするステパナの家の人々と彼らと共に働き労する人々に従ってほしいという願いが記されています。

彼らは主イエスのメッセージを聴いて生活を変えました。牧師も信徒も同様にキリスト・イエスに従って身をもって仕える人々に倣うことが強く勧められています。そして、その実は「足りないところを満たす」平和でした。この平和を作り出す人々を締め出さないように配慮しましょう。自分を変えない人が偉いのではありません。自分を変えて足りないところを満たし仕えましょう。そしてこのような人々を重んじましょう。

警視庁の発表によりますと、鬱病や経済的な困難のために苦しんでいる人々が多くおられることを知ります。隣人で困っている方をイエス様のように愛しましょう。まず、周りの方々と知り合ってわたくしたちの愛がキリスト・イエスによって与えられるように心を用いましょう。安心してキリスト・イエスをお伝えしましょう。

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