『疲れたる者の力』 (イザヤ40章21〜31節) ( 6.26/2012 ) |
「しかし、主を待ち望む者は新たなる力を得、わしのように翼をはって、のぼることができる。走っても疲れることなく、歩いても弱ることはない」(:31) 序.疲れた時に以前、三春での自己紹介タイムで「元気が出る食べ物または飲み物」を紹介しあった。ある方は「梅干し」、ある方はナントかという栄養ドリンクなど様々あった。体の疲れ、心の疲れはある意味リフレッシュできるかもしれない。しかし、魂が疲れた時、どうすればいいだろうか。これは栄養ドリンクでも癒されない。 0.誰でも疲れる (:30節)30節ではどんなに若く健康を誇っても、また、ベテランでも疲れると言う。誰でも疲れを覚えないという時はない。しかし、心の奥にある魂の疲れに気づかない。 1.疲れの原因人には体と心と魂がある。魂が疲れた時、心も体も疲れる。その原因は何か?1)第一は自分を知らないこと、2)第二に神を知らない(21節)ことから来る。 2.回復の方法1)自分を知る。6節「人はみな草」と書かれている。イザヤ40章は慰めの章。この慰めは「悲しみ」を意味する。自分の本当の弱さを知り、悲しむ時、真の慰めを得る。2)神を知る。この世で唯一の疲れを知らない方(28,29)、神は如何なるお方か?@第一に、偉大な、力ある方(28)。全知(12〜14)、大能(10)、世界の創造者(21〜26)、管理者(26)、生きておられる神(17〜20)。Aしかし、神は強いだけではない。時に強い人は優しさを欠く。有能な人は憐れみを欠く。この神は勇ましいだけでなく、優しい方(1229)。牧者(11)。弱く、倒れやすい、迷いやすい子羊のような私を抱え、母親のように「乳を飲ませるものをやさしく導かれる」。私達が疲れ果て、倒れこむ時も、「下には永遠の腕がある」(申命記33:27)と言われる。Bそして、永遠なる神(828)。人間には限界がある。しかし、この神には限界はない。力と愛がどんな範囲にも及ぶ。 この方と言い争うことの何と愚かなことか(27)。人間は自分の正しさを主張し、「理解してくれない」と言って疲れる。しかし、神の目から見た私達まるでいなご。このお方の目で自分を見る時、何と自分は小さな世界でもがいているのかを知る。 3.主を待ち望め「待ち望む」とは「やめる」こと。「やめよ!わたしこそ神であることを知れ!」(詩篇46:10)と神は言われる。私達は「忙しい」と言う。しかし、本気で忙しさと争ってはいない。信仰とは何かすることでなく、行いを良くすることでなく神を仰ぐこと。鳥の中の王である鷲の力はその翼にある。一定期間、静かにして古い毛が変わるのを待つ。羽がすべて新しくなった時、力強く羽ばたく。主を待ち望む者はこの様。「新しい」とは「上よりの」。神ご自身を仰いで、すべてを置き、待ち望もう。 (説教者:田代美雪牧師) |
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