「神殿崩壊予告」(マルコ13章1〜2節) ( 7.24/2012 )
「イエスは言われた、「あなたは、これらの大きな建物をながめているのか。その石一つでもくずされないままで、他の石の上に残ることもなくなるであろう」。」(2節)

マルコによる福音書が書かれたのは紀元50年代だと言われています。エルサレムがローマ帝国によって攻撃され神殿(ソロモンの神殿でなく、捕囚後再建され大ヘロデによって大幅に改築された神殿)が崩壊したのは紀元70年です。ですからこの主イエスによるエルサレムの崩壊予告は事件を受けて書かれたのではなく事件が起こる前に預言されていたことになります。またこの崩壊予告は、主イエスが祭司長、長老、律法学者など全議会の前で訴えられた時に(マルコ14章58節、ヨハネ2章19〜20節)持ち出されていますので神殿を中心とした生活をしていたユダヤ人たちにとって信仰面で大きな意味を持ったものであったようです。

2週間ほど前、郡山市内で待ち合わせをしていたために歩いておりましたらサマージャンボ宝くじの発売日であったようで数人の壮年が売り込みのための声かけをしておられました。以前は魅力を感じ購入したこともありましたが、このマルコによる福音書を読ませて頂いて崩れてしまうものに望みを置くことに疑問を感じ始ておりましたので思いとどまりました。主イエスが危険を感じて崩壊予告したこと通して何が崩れ去らないものであるのかを考えてみたいと思います。すなわち、ユダヤ人たちが誇っていた神殿信仰と寡婦の信仰を比較しつつ考えてみたいと思います。

わたくしは最近思わされますのは牧師になって何を証ししてきたかということです。すなわち、物の豊かさや便利さを宣伝してしまったのではないかと反省致しました。エルサレム神殿のように崩れ去ってしまう喜びを自分自身も喜びながら生活してきたことに気付きました。それは、口で宣伝したというよりも生活に表れた物、すなわち自動車、電化製品等目に見えるものでそれを証ししてきたように思うのです。これらはすべて崩壊していく物です。けれども寡婦は何も持っていなかったと思いますが生活で彼女を生かしてくださるお方を証ししていました。以前関西で出会った小学生の子ども達も自分の弟や妹におやつを作ってあげるために毎日教会に来てくれていました。彼らの豊かな姿を忘れることができません。マザーテレサは1979年にノーベル平和賞を受賞しますが「〜世界の最も貧しい人々に代わって賞を受けます」と言い、その後豊かな生活に変わったのではなく、その後も彼女は質素な服を着て貧しい方々に仕えました。彼女は「キリストに近づこうとしている人たちにとって、キリスト信者たちが最悪の障害物になっていることがよくあります。」と言っています。小さな子ども達に見る生き方もマザーテレサに見る生き方も人を生かし、自らは貧しくなりました。

幕末、信仰を利用して多くの国を蹂躙してきた西洋諸国に対して鎖国し続けた日本も開国をする時が来ました。1868年シュー・カルブレイス・ペリーと「天を相手にせよ。人を相手にするな」と言った西郷隆盛らによって国は動きました。ところが岩倉具視らによって文明開化へと国勢が修正されてしまいました。今も文明開化によって知った価値観に酔わされているのではないかと思うのです。西郷は「文明とは正義の広く行われることである。豪壮な邸宅、衣服の華美、外観の壮麗ではない」と言いました。

神には厳しい環境でしか出会えないのかもしれません。けれども主イエスが知っていたことは目に見える神殿は崩壊するということでした。確かに私たちの心に神殿の華麗さは残らないのです。私自身物を求めてきたことを反省し、正義を求めるように改めたいと思います。

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