「今、なすべきこと」(マルコ13章3節〜37節) ( 7.29/2012 )
「こうして、福音はまずすべての民に宣べ伝えられねばならない。」(10節)

このマルコによる福音書13章は小黙示録と呼ばれています。それは人の子の来臨と終末の時について記されているからです。ここで、ペテロをはじめとする4人の弟子たちはそれがいつ起こるのか、そしてその前兆として何が起こるのかを主イエスに質問しています。13章は(3〜8節)終末の時、(9〜13節)弾圧、(14〜23節)神殿冒涜と偽キリスト、(24〜27節)人の子の来臨、(28〜32節)終末の時、(33〜37節)目を覚ましていなさい、という内容になっています。

背景となっている社会情勢はローマの支配下にあってエルサレム神殿等のヘレニズム化の危機にありました。過去にも紀元前167年アンティオコス4世がヘレニズム化対策を行いユダヤ教禁止しエルサレム神殿にオリュンピアのゼウス像を立てさせたことがありました。その反動がマカバイ兄弟を中心とした独立運動に発展しユダヤは一時ヘレニズム王朝の支配を脱しました。また紀元39年から41年にもローマ皇帝カリグラが自分の像をエルサレム神殿に立てさせようとしたことがありました。しかしシリア総督ペトロニウスがユダヤ全体が騒乱状態に陥ることを恐れてその実施を遅らせました。しかしカリグラは強引に実施させようとして手紙を書きますが、その手紙が到着する前にカリグラは暗殺されてしまい実施されませんでした。

この危機を福音書記者たちはどう受け止めたのでしょうか。マタイはこのところの並行記事で「よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく(マタイ5章18節)」と言っておりますようにユダヤ教の枠内に留まりました。しかしマルコはこの13章31節に「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることがない。」と言っています。すなわち、いつそんなことが起きますか、前兆は何ですかと騒ぐのでなく落ち着いて福音を伝えることが大切であると言っているのです。

では、福音とは何を指しているのでしょうか。13章12〜13節によりますと、福音は親に逆らわせるもの、すべての人に憎まれるようにさせるものです。常軌を逸したものであったと言えます。社会に不和をもたらして良い知らせと言えるのでしょうか。恐らく主イエスに出会った人々に後に、ただ一人になっても神を信じることを選択させたのが福音だったのです。では神を信じさせた福音とは何なのでしょうか。初代教父たちの説教を学んだわけではないのですが、日本人のある作家はルカによる福音書23章43節をあげています。それは、犯罪人に対して主イエスが「いつまでも私はあなたのそばにいるよ」と語りかけた部分です。恐らくガリラヤの貧しい人々もイエスの十字架刑とその死を知った時、彼の言葉が真実であったことを知ったのではないでしょうか。後にローマ皇帝がキリスト者の服を着ます。この辺りからキリストがどこにおられるのかが分からなくなってきたのではないでしょうか。

神はこれからも現実を変えるのでなく、信じる人と同じ姿になり共にいて下さるのではないでしょうか。今私たちは逆境に置かれているかもしれません。世の力は個人の力では支えきれずくずおれているかもしれません。今日から人生の友として主イエスを信じ探求し始めてみませんか。

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