『キリストのように歩む』(ヨハネの第一の手紙 2章1〜6節) ( 9.10/2012 )
今年4月に新しい年度を迎え、私たちは、新たな決意をもって踏み出しますが、その前途に何が待ち受けているのか知ることはできません。しかし、私たちの将来を握っておられる方が、どなたであるかを知る者は幸いであり、喜びです。

1.新しく生まれ変わる                  
この手紙の1章に「いのち」という言葉が繰り返し出てきます。昨年は東日本大震災により『いのちの大切さ』を改めて思わされましたが、なぜ命が大切なのか、それは神様からの預かりものだからです。この命についてヨハネは「いのちが現れた」(2節)と述べ、命との交わりを強調しています。「交わり」(3節)とは『コイノニア』というギリシャ語からきていて、共有するという意味です。つまり、神と私たちが共有するということです。しかし、罪ある人間が神と共有するためには、生まれ変わらなければならないのです。そのために神は御子イエス・キリストをこの世に遣わされ十字架の贖いの業をなして下さいました。私たちが神の御前に『罪人の私を憐れんで下さい。』と祈り求めるなら、神は私たちの罪を赦し、新しく生まれ変わらせて下さるのです。  
                   
2.キリストを目標として成長する          
生まれ変わったクリスチャンは、キリストを目標として成長することが大切です。人は生まれ変わらなければ、キリストを模範として歩むことはできません。赤ちゃんが成長していくように、信仰生活においても成長しなければならないのです。それは、キリストに一歩一歩近づいていくということです。この手紙の2章でヨハネは、『キリストの十字架の血潮は、人が罪を犯さなくなるためのものであり、人が罪に打ち勝ちながら生活を送ることができる』と語ります。しかし人は弱く、不完全な者です。だから、「もし、罪を犯す者があれば」(1節)と記し、その時には、弁護士として立ってくださるキリストがおられることを述べています。私たちは感謝して、主イエス・キリストに赦しを何度も請い求めながら、やり直すことができるのです。それがクリスチャン生涯です。

私たちはキリストにとどまり、キリストならどのように見、考え、判断されるかを、キリストのように歩むことによって、身につけさせていただきたいと思います。神は不可能を可能にされる方なのです。(説教 待望教会 今田好一牧師)

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