「何度でも癒すお方」(マタイ9章9〜13節) ( 10.21/2012 )
イエスはこれを聞いて言われた、「丈夫な人には医者はいらない。いるのは病人である。」(12節)

金持ちが救われるのかという問題に対してルカはザアカイの救いを証しています。では、罪についてはどうでしょうか。マタイによる福音書を読みますと、主イエスは病人という例えを用いています。病人は自らの意思で病気になったのではありません。しかし、どこかにその病気になった原因があり、それをお医者様に見つけていただき治療をしていただくのだと思います。そして、その場合、お医者様は何度通院してもその患者さんを責めません。同情をもって受け止め共に悩み闘って下さるのではないでしょうか。

わたくしたちが家庭を築く場合、最初から病を知って結婚する方は少ないでしょう。共に生活していく中で様々な病が見えてくるのだと思います。しかし、もし家族が「あなた、病を治しなさい。治さなければ家族であり続けることはできません」と言ったなら大変なことだと思います。しかし、罪に関しては簡単に「罪を捨てなさい、そんな罪びとと一緒に生活したくありません」と言ってしまいやすいのではないでしょうか。

病気であることを承知の上で結婚するように、罪びとであることを承知の上で結婚することが必要ではないでしょうか。そして、ザアカイが主イエスのもとに集って変えられたように、伴侶者の元に通って変えられたら幸いだと思うのです。クリスチャンが訳のわからない道理をもって生きているというのではなく、神が罪びとを愛してくださり見捨てずお付き合いしてくださっていることを再確認し、わたくしたちも隣人を裁くことを止め、受け入れ愛すること、そして共に歩むことを始めましょう。先週お世話になった方がお亡くなりになりました。その先輩からのメッセージは「人を愛する人間になれ」でした。弱さがわかり、受け止めることができる人間を目指しましょう。

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