「誰にでも明日はある」(マルコ4章26〜29節) ( 10.28/2012 )
「地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。」(マルコ4章28節)

失敗しても明日があるのか今日は考えてみたいと思います。マルコによる福音書を書いたマルコはマルコによる福音書14章51節〜52節によりますと12弟子ではなかったのですが、主イエスが逮捕されたときそこにいて、イエスを見捨てて逃げ去ったことが暗示されています。けれども彼は生涯逃げ続けたのではありませんでした。ですから、神はどんな所からでもわたくしたちの人生を回復してくださるのはないでしょうか。わたくしたちの明日も、神がわたくしたちに対して委ねてくださっているものなのではないでしょうか。

しかし、わたくしたちは失敗するとき、何時しか自分自身を責め(自分は毒麦だ)などと思い込んでしまうのではないでしょうか。けれども、マルコによる福音書には毒麦の譬え話は出てきません。かえって「地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中に豊かな実ができる。」(マルコ4章28節)と、励ましてくれています。

井上雄彦(たけひこ)という方の書いた漫画に体に傷を負った少年がでてきます。「神様も意地悪よね」という友人に対してまた別の友人が「何かが欠けているからこそ前へ進めるってのはあるよね」というセリフが出てきます。信仰の世界において考えます時に、(どんな負い目があっても決してそれは毒麦ではない、前へ進む力なんだ)と教えてくださっているのではないでしょうか。そしてまた別の登場人物は「同じ脚を持つ仲間として・・・・オメーはひとりじゃねーぞ」と言います。教会にも現実を知った上で信じてくれる神がおられ仲間がいるのです。

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