生活に御霊の喜びを(Uコリント1章15〜24節) ( 6.27/2010 )
「神はまた、わたしたちに証印をおし、その保証として、わたしたちの心に御霊を賜わったのである。」コリント人への第二の手紙1章22節

お寺は良いお話を聴くところだけど教会はいったいどんなところなのでしょうか。
哲学を学ぶところなのでしょうか。教会は神の愛を心の外と内に体験するところです。

神が怖いのがわたくしたちの本音です。しばしば欲望と戦って敗北し、戦う前から白旗を揚げているかもしれません。(こんな自分ではもう教会には行けない、全然心がきよくならない)など自分をもし失格者だと思ってしまう時があっても、教会はキリストの愛によって慰めを得るところです(4節)。

コリントの人たちには自分を変えたくないものがあったようです。まだ一章には具体的に記されていませんが根本にはこの問題があります。けれどもパウロはこの一章においてどんなに大きな問題があったとしても、人間の計画と違い神の約束はキリストにおいてしかりとなった。すなわち罪人を救う神のみこころは実現されたと証しています(20節)。そして、パウロ自身が一つの解決を得て手紙を書いていることがわかります。それは御霊です。

パウロも寛容でありたくても寛容になりきれない自分に躊躇しました。しかしただ、彼が願っていたことは「あなたがたの喜びのために」(27節)ということでした。

その鍵は御霊によって生活することです。御霊はあなたの最善を教えてくださるでしょう。

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