「歩み入る神」(ピリピ2章6〜11節) ( 12.26/2012 )
「おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。」(7節)

「わたしたちには、父なる唯一の神のみがいますのである。」(1コリント8:6)とありますので、クリスマスは神様がひとり増える、そのお祝いではありません。御子イエスと聖霊はそれぞれ父なる神と異なる位格をもったお方であり、決して同じお方ではありませんが、本質において子も聖霊も区別されないので、神は唯一であることに矛盾しないとキリスト教会では理解しています。クリスマスは神の子・イエスの誕生を祝う行事です。

では何を祝っているのでしょうか。オールマイティーな神の誕生でしょうか。9節の「それゆえ」の前に記されている、神と等しいとされた理由は、十字架で死なれたお方であったと歌われています。すなわち、権威主義・律法主義者から阻害され、辱めを受けた姿を歌っています。これが当時のクリスチャンの神概念だったのです。

祈って答えられないとき、失望するでしょう。しかし、神が共におられると確信できるのは、苦しみの中なのだと歌っているのではないでしょうか。「自分を無にして死の中まで歩み入る神がいる」とある牧師は説教しています。この方は幼い頃、母だけが食卓から離れて生活が困難な方と共に食事をしているのを見ていた、と記しておられます。神の実在を感じられたのではないでしょうか。

愛や人への思いやりの中に、今も神はおられるのです。

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