わたしたちはキリストの香り (Uコリント2章8〜17節) ( 7.5/2010 )
わたしたちは、救われる者にとっても滅びる者にとっても、神に対するキリストのかおりである。Uコリント2章15節

昔、お会いした小さなお子さんはいつも桃の香りがしました。わたくしも(いい香りだな)と思いまして手洗いソープを桃の香りにしたことでした。良い香りは周りの人に心地よい気持ちを与えてくれます。

パウロは、どんな難しい問題に直面していても愛を示すようにしてほしいとコリントの教会に手紙を書きました。その問題のために苦しみに遭っている人々がいることを知っていてその方々と共に歩む人々に対して愛を求めています。

では、「罪を悔い改めない人を放っておけと言われるのですか」という疑問が起こると思います。

その答えは、問題を起こしている人に対して私たちができることは、キリストの香りを放つことだけだというのです。
そして、この香りは嗅ぐ人を救いと死に分けるというのです。精神的に耐えられないような臭いでなく愛の香りで分けられるというのです。心地よい香りなのです。けれどもその歩む道は香りを嗅ぐ人に責任を求められるのです。

けれども、香りをもつ者にも責任があります。キリストを知らなくては彼の香りを放つことはできません。キリストと違う香りを放っては大変です。パウロ先生でさえ「この責任に耐えられない」と語っています。

キリストの香りを放つ者として私たちは導かれています。さばきでなく愛の香りを放ちつつ生活致しましょう。

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