「涙を共有される神」(ルカ6章20〜21節) ( 1.28/2013 )
「そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである。あなたがたいま飢えている人たちは、さいわいだ。飽き足りるようになるからである。あなたがたいま泣いている人たちは、さいわいだ。笑うようになるからである。」」ルカ6章20〜21節

貧しさと神の国は共存しないのかと言いますと、神の国はその中にあると教えています。イエスの時代は宗教規定により礼拝を守る権利すら奪われていたのが当時の貧しい人々でした。ところがイエスはささげ物ができない貧しい人々の礼拝の権利を取り戻しました。罪人と揶揄される人々のために神を取り戻しました。例えばマタイ22章9節には王が誰でも招きなさいと命じています。招かれる身に覚えのない人たちと屈辱や痛みや悲しみを共有することを通して神がおられる世界、隣人がいる世界を証ししました。今、それぞれに神の涙を証しすることができる命が委ねられています。それは神の権威を伝えるためではなく、神の愛を証しするため、すなわち自分のためではなく隣人のため(人生を分かち合うため)ではないでしょうか。

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