「作り出された罪」(ヨハネ4章39節) ( 2.3/2013 )
「さて、この町からきた多くのサマリヤ人は、「この人は、わたしのしたことを何もかも言いあてた」とあかしした女の言葉によって、イエスを信じた。」(ヨハネ4章39節)

645年に大化の改新があり、以降242番目に安政(1854〜60)という年号が出てきますが群馬県の大胡(おおご)町には江戸時代のお触書が残されているそうです。
また、列王記下22章13節はヨシヤ王の宗教改革と呼ばれている部分です。掟とは為政者が民を支配するために作るものですので掟が発布されると同時に罪という概念が生まれる、もしくは再確認されるということに注意しなければならないと思います。

掟の背後に日本の場合「お上」と呼ばれる為政者がおり、聖書の世界では「神」が暗示されています。ヨハネ4章39節を読みますと、主イエスは霊能者のような印象を受けますが、実際は異邦人の女性の話を親しく聞いた人物であったのではないかと思います。すなわち、お上や神の側に付く時、隣人との関係は分離に向かいますが、主イエスは対話を求め理解に努めたということだと思います。

掟に生きる時、恐ろしいことは暴走を暴走と感じないことです。隣人の感情を聞くゆとりも失ってしまいます。そして「罪」という概念を自らと隣人に当てはめ、自らを責め、またある人は虚構にのめり込んだ末に隣人を責めてしまうかもしれません。隣人の声を聞く準備のない場合、宗教やその他の思想に関係なくこのような特徴があるのではないでしょうか。本当に必要なこととは隣人と向き合い互いを理解し合うことではないでしょうか。宗教に熱心な方ほど気をつけねばならないのではないでしょうか。

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