「明日はある」(マルコ4章26〜29節) ( 5.5/2013 )
「地は人手によらず実をならせるもので、初めに苗、次に穂、次に穂の中に実が入ります。」(28節)

失敗しても明日があるのか今日は考えてみたいと思います。マルコによる福音書の著者マルコはマルコによる福音書14章51節〜52節によりますと12弟子ではなかったのですが、主イエスが逮捕されたときその場にいて、イエスを見捨てて逃げ去ったことが暗示されています。けれども彼は生涯逃げ続けたのではありませんでした。この神体験はマルコによる福音書のメッセージに現れています。彼を立ち直らせたのは何だったのでしょうか。彼が知ったのは、努力の結果の救いではなく畑の作物のように神のご計画によって人は実を結ぶ、ということだったのではないでしょうか。

しかし、わたくしたちは失敗するとき、何時しか自分自身を責め(自分は毒麦、そのうち私は裁かれる)などと思い込んでしまうのではないでしょうか。けれども、マルコは毒麦の譬え話は書いていません。かえって(実は人手によらないのだよ)と、励ましてくれています。

井上雄彦(たけひこ)という方の書いた漫画に体に傷を負った少年がでてきます。「神様も意地悪よね」という友人に対してまた別の友人が「何かが欠けているからこそ前へ進めるってのはあるよね」というセリフが出てきます。信仰の世界において考えます時に、(どんな負い目があっても決してそれは毒麦ではない、前へ進む力なんだ)と教えてくださっているのではないでしょうか。そしてまた別の登場人物は「同じ脚を持つ仲間として・・・・オメーはひとりじゃねーぞ」と言います。教会にも現実を知った上で信じてくれる仲間がいて、教会が伝えようとしているのは裁く神ではなく、必ず実を入れてくれる神なのです。

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