主は霊である。(コリント人への第二の手紙3章4〜18節) ( 7.19/2010 )
「主は霊である。」(17節)

主は霊である。これがこの3章の主題です。

主、すなわちイエス様は文字ではなく、霊であると証しされています。「教会から帰って数時間たつと恵みを忘れてしまう」という説教を聞いたことがありますが、ひとごとでなく私も教会から帰った後の寂しさを感じたことがしばしばあります。

けれども、今日の聖書の箇所を読みますと、主イエス様は霊として存在されると証しされています。昔ひとり暮らしをしておりました時、寂しさをどのようにして克服したらいいのか。(市役所の掲示板に「同室者求む!!」なんて貼り出そうか)と考えたこともあるのですが、私たちが知らないだけで主イエス様は霊としてすでに私たちの生活の場にいて下さるのです。

文字から受ける恵みも素晴らしいですが律法は人を殺すと記してあります。確かに失敗と失望が文字(律法)の導きの先にはあります。イエス様はもっと具体的なお方、霊なんですと記されています。

霊の導きの先には何があるのでしょうか。イエス様と似てくるというのです。寂しくないだけで十分ですけれども、主に似てくるというのです。しばしば私は近所の子どもたちのこころやさしい行動を見てボテボテとあとからついて行くことがありますが、同様にイエス様の御姿を覚えさせていただくようにこころを用いますと、きっとイエス様について行けるのではないかと思います。しばらく後にはイエス様と同じところに立たせていただけるのではないでしょうか。

主は霊です。たったひとりのとき、イエス様を感じつつ過ごしましょう。(ひとりぼっちだ)っと恐れないで、霊であるイエス様に励まされながら生活いたしましょう。

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