「心の選挙」(使徒の働き26章18節) ( 7.21/2013 )
「それは、彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」使徒の働き26章18節

ホルトホール大分が先週末オープンしましたが、そのオープニングセレモニーでは大分の歴史に深く関係したフランシスコザビエルが紹介されたと聞いております。確かに新聞に掲載された写真の正面には十字架が描き出されておりました。数百年前にわたくしたちの先祖が聞いた神のメッセージとはどんなメッセージだったのでしょうか。

当時のザビエルの説教を文献を通して確認したわけではないのですけれども、彼が持っていたであろうラテン語の聖書は今は日本語にも翻訳されておりますので、そこから推測しますと、おそらくザビエルが心にとめたであろう聖書の言葉は使徒の働き26章18節です。そこにはこう記されています。「それは、彼らの目を開いて、暗やみから光に、サタンの支配から神に立ち返らせ、わたしを信じる信仰によって、彼らに罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々の中にあって御国を受け継がせるためである。」簡単にまとめますと、神に立ち返らせるというメッセージでした。ただ神に立ち返るために貢を求めないで主イエスへの信仰によって罪の赦しを得させ、御国を継がせるということを伝えたと思われます。

しかし、御国どころかわたくしたちの信仰を省みます時に、彼への信仰ではなく自分で打ち立てた生涯、すなわち過去の信仰生活や体験などに信頼を置きがちではないでしょうか。確かにそれらの出来事には力があったのです。しかしここで語られている「わたしを信じる信仰によって」という一節には大きな意味があるように思うのです。すなわち、「そのように歩ませるのはわたしだ」と、主イエスは言っているからです。主イエスは日常生活に登場していますか。「夫婦の問題ですから〜」とか、様々な答えが帰って来そうですけれども、何かの正しい証拠があってはじめて和解や平和が築かれるのではなく、主イエスへの信仰がこの大分の町にわたくしたちの家庭に、学校や職場の人間関係にも平和を与えてくれるのではないでしょうか。それは、不条理がまかり通ってしまう日常であっても御国は主イエスと共にあるからです。もしひとりの人を主イエスによって赦せたら、わたくしたちの人生は変わるのではないでしょうか。

(主イエス、関係ないな〜)とおっしゃるかもしれません。(信仰、何、それ!)と感じられるかもしれません。信仰とは手綱を主イエスに預けることです。彼に信頼したときに初めてバランスが取れるのではないでしょうか。それが「わたしを信じる信仰によって罪の赦しを得させ、聖なるものとされた人々」の意味ではないでしょうか。すなわち、ある宣教師の祈りは「父よ、時が来ました。子の栄光を現してください」だったそうです。祈りを通して手綱を神に預けたのです。そして『一つ一つの機会は、カルバリにおいて私共のために獲得された、この大いなる救いを何人かに分与すべき神の時であることを!』と言っています。神の救いを分ける日々を求め祈りましょう。御国も救いも獲得したのは主イエス、わたくしたちは子の栄光を求めて祈る人、で良いのではないでしょうか。子の栄光はわたくしたちの祈りを通して表されるのです。

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