「人生相談」(ルカ11章2節) ( 9.15/2013 )
そこでイエスは、彼らに言われた。「祈るときには、こう言いなさい。『父よ。御名があがめられますように。御国が来ますように。』」(2節)

ある新聞には毎朝『人生相談』という記事が載っております。ご主人が給料を自分のために使ってしまい家庭に入れてくれないのですが、とかおしゅうとお姑さんとの関係について、会社の娘さんへの待遇について、産休後の仲間内の風当り等様々な相談が寄せられ、専門のお医者様がそれぞれの悩みに答えてくださっています。恐らく人気のある記事であり毎日多くの方が自分自身と重ねながら読んでおられることと思います。しかしほとんどが女性からの相談です。また、河島英五は『酒と泪と男と女』の中で「おれは男 泣きとおすなんてできないよ」と歌っています。男も女も、おそらく問題はどうしようもない寂しさや悲しさです。人生相談を楽しみに読む自分を客観的に見て感じることは自分に相談相手が出来たことを喜んでいるように感じるのです。

さて、教会が町にある意義は何なのでしょうか。聖書はこの難しい隣人との関係について「自分と同じように隣人を愛しなさい」と教えています。そしてその例として、旅の途中で襲われ倒れてしまっている人を助けた旅人がいたときに、その旅人とは宗教家ではなく異邦人であったと教えています(ルカ10章25〜37節)。これは宗教家への痛烈な批判です。この教会はこの地に移転して9周年を迎えましたがこれから先の目標について、今後も教会と牧師家族が先人に倣って地域の方々と共に歩ませて頂きたいと願っております。

しかし同時に聖書が伝えたい本当の隣人は神です。イエスは神との親密な関係について身近な言葉で弟子たちに教えました。それは「父」でした。少なくとも主イエスの証言によりますと神はわたくしたちの父親としてわたくしたちを愛してくださるお方であり、わたくしたちを受け止め続けて下さるお方であり、従うに足るお方です。すなわち、わたくしたちも神の教えに従って愛する人生を始めることができるのです。どうしようもない寂しさと悲しさに泣くか、飲むか、はたまた祈るのか、静かに寝むるために、天の父への祈り、すなわち天の父との関係づくりを選択肢に加えてみてはいかがでしょうか。きっと新しい生き方(愛)が見つかるでしょう。

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