「決心から神の恵みへ」(1コリント 15章10節) ( 10.6/2013 )
「それは私ではなく、私にある神の恵みです。」

一枚の用紙にわたくしがお世話になった先生の名前が載っていました。これをどう受け止めさせていただいたのかお証させて頂きます。
わたくしはこのことを神からの恵みと受け止めました。それまではよくある日常のこととして心に留めず自分の道を進み続けてきたのですが自分を変える機会として受け止めたのです。
その結果は、明日は分かりませんが以前よりもきよい生活になりました。そして生活が変わった事によって神に感謝するようになりました。とにかく神に感謝したいという願いが起こってくるのです。

以前は決心が自分の心を保つと信じていました。しかし今は違います。一枚の紙切れにひとりの方のお名前を記してくださったのも、今の心の状態も神の恵として受け止めております。もしかしたら「早く寝なさい、宿題しなさい」等、以前は(ひつこいな〜)と感じていた言葉でしたが、もしかしたら神の恵みだったのではないかと今ではそう感じております。新約聖書に「神の恵み」は20回しか用いられていません。その中で今日の中心聖句には3回も登場しています。すなわち、神の恵みが今のわたくしたちを保っていてくれるのですというのが先輩たちからのメッセージです。
ゆえにこれから先の人生も自分の決心などの自分の強さに頼る必要が無いのです。ただ守られている日常を神に感謝し、嵐のときにも(神の恵み以外に私が守られる術はありません)という思いを抱きつつ祈れるのです。神は弱いわたくしたちを愛し、赦された者としておつきあいくださいます。これからの生活にも神の恵みを見出し神が導いて下さる新しい人生を感謝しつつ歩みましょう。

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