「あなたは高価で尊い」(イザヤ書43章4節a) ( 10.20/2013 )
「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」(4節a)

聖書が証言している神の御思いは人間の尊さを保障しています。しかし中東の紛争地帯では無人爆撃機による誤爆があり、479人もの民間人が犠牲になったと国連は報告しています。なぜ人が人の命を奪うのか考え直さなければならないのではないでしょうか。

人生の中で一番悲しい場面は死別でありましょう。ニューヨークのエンパイアステートビルから空間を除くと米粒大の物質しか残らないそうです。(しかしその小さな物質には数十万トンの質量があるそうです。)人間の体から空間を除いた場合はなおさら、小さな姿に変えられてしまうのではないでしょうか。だからこそ、生きている今が大切だと感じるのです。被害に遭われた方々も生きなければならなかった方々なのです。思想も肌の色も負っている生活環境も歴史も違うお互いかもしれませんけれども、ゆるし合い受け入れ合う理由は、本来の小ささにあるのかもしれません。人間が作為的に破壊してしまえば、後から「間違っていました」と言っても人間の力で再構築できるものではありません。ゆえに今、生かされており互いに愛し合うことが許されている人生が尊いのではないでしょうか。ゆるし合うことが難しければ愛し合うことから始めることはできないでしょうか。

神の目に尊い、この言葉は良い言葉でしょう。しかし社会には悲しみが存在します。目に見える世界では言語、文化、思想の違いを受容せず紛争を繰り返してきました。このような中で聖書は「宣教のことばの愚かさを通して、信じる者を救おうと定められたのです」(1コリント1章21節)と語りイエス・キリストの十字架に神の裁きを集約しました。いくつもの正義が世には存在するかもしれませんが、神が裁かれたのは御子イエスです(ヨハネ3章17節)。神から与えられる人の尊さは神の救いの方法を信じる者が証し出来るはずです。本当は現実の社会の中で、小学生の頃から掟よりも人が生きることが大切なのだと教えられて初めて人を大切にできるようになるのだと思います。

エンタングルメントという絡み合った光子(こうし)間で情報が遠隔操作される現象が知られています。また宇宙ホログラム説というブラックホールの境界面に情報が蓄積されているという学説もありますけれども、もしこれが事実ならば失われた命にも神が尊いと証しされる約束にも望みが出てくるのではないでしょうか。また、今すぐにでも「ゆるせる心を与えてください」と祈りだすときに神は何かをその境界面に書き込んでくださるのではないでしょうか。書き込めるのは神だけなのではないでしょうか。

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