「神は愛」(ルカ15章32節) ( 11.3/2013 ) |
「だがおまえの弟は、死んでいたのが生き返ってきたのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」(32節) 放蕩に身を持ち崩した弟息子と、真面目で父親にはむかったことのない兄息子がいました。ある日、突然弟息子が家に帰ってきます。父親は弟息子の着物を着替えさせ大宴会を開きます。ところが、そのことを兄は面白く思いませんでした。 これが今日の主題です。父親も戻ってきた弟息子も特に財産は所有していないのです。ただ、父親が権威をもって弟息子を宴会をもって迎えたというだけのことです。ところが兄息子にはその「愛」が納得できなかったようです。恐らく当然受けるべき裁きを兄は望んでいたのです。ところが、父親は戻ってきただけで大喜びで迎え、兄に同じ思いになってほしいと言っているのです。 この父親の愛が世の愛とは違う神の愛であると主イエスは教えました。ですから、そのままの姿で教会に来て下されば、皆様はもれなく神に歓迎され教会員全員にそして牧師からも歓迎されます。神のもとに帰ってくることが最大の悔い改めです。 そこには赦しと喜びと歌があります。互いに神に赦され受け入れられていることを喜び合うことができるのです。 わたくしは先日、愛に嫉妬したことがあり反省しました。しかし「楽しんで喜ぶのは当然ではないか」と主イエスは言っていました。嫉妬してしまう人が出るくらい豊かに神の愛を体験できるのが教会です。世の勝利者になることが教会の目的ではなく、父のように犠牲を払いながら喜んで隣人を神の家族として迎えるのが教会なのです。神の喜びを伝えるのが教会に与えられている使命なのです。 |
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