「もろもろの罪から救う者、主イエス」(マタイ1章21節) ( 12.25/2013 )
「マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」(21節)

クリスマスはイエス・キリストの降誕をお祝いするお祭りです。普通はメリークリスマステゥーユー、すなわち、ウィーウィッシュアメリクリスマスと同様に「クリスマスおめでとう」と言います。しかし、一方でMarry(マリー)と言いますとこれは怒りや驚きを表す言葉で処女マリアのわんきょく的表現になります。すなわち、処女でありながら聖霊によって子どもを身ごもるということは、相当な葛藤があり苦しんだであろうマリアの思いを俗語は表しています。今日はメリー(愉快な)クリスマスと言うよりも聖霊によって驚きと葛藤の中で身ごもった処女マリアを通して与えられた特別な「救い」を受け取れる時となるようにと願っております。

激しい葛藤が伴ったであろう処女によるイエスの降誕には特別な目的が与えられていたと証言されています。すなわち、その目的とは「ご自分の民をその罪から救う」ことでした。わたくしたちを造って下さった神が罪(神を無視した生活)の解決の為に罪のないイエスをわたくしたちの為に遣わしてくださったというのです。それが罪無きイエスのご生涯とその出生でした。

処女マリアの信仰はマリアの賛歌(ルカ1章46〜55節)として語り継がれています。しかし俗人であるわたくしたちは神から与えられる人生を受け止めるためにマリーという俗語が生まれるくらい苦しむのです。誰しも受験、入社試験、人間関係など課題の重さに耐えかねて立ち止まってしまうことがあると思うのです。
しかしこれまではこれらの出来事の為に自分の力による解決しか知らなかったかもしれませんが、わたくしたちを創造されたお方(神)はイエスによる解決を与えておられます。すなわち、自分の中や罪の原因となっている隣人との関係の中に解決を捜すのではなく、神の解決の方法は主イエスなのだよと教えてくださっているのです。彼はわたくしたちの身代わりとなって罪を負ってくださった罪の解決者であり、世の罪を取り除く神の小羊(ヨハネ1章29節)であり、永遠の贖いを全うされたお方(へブル9章12節)なのです。どんな試練に遭遇しても主イエスを受け入れたときからメリーを超える永遠の喜び、すなわちすばらしい喜びの知らせ(ルカ2章10節)が約束されているのです。困難の為に立ち止まったときは主イエスの名による罪の赦しを受け取りましょう。これからのことも主イエスと一緒に考え進んでまいりましょう。「神は、罪を知らない方を私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです」(2コリント5章21節)。

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