「子なのだから」(ルカによる福音書19章9節) ( 3.17/2014 )
「この人もアブラハムの子なのだから」(9節)

現在教会にお一人のご夫人が求道しておられますが、もうすぐ手術をお受けになります。その方のお話では手術にはかなりの痛みが伴うだろうとのことでした。神様から勇気を頂かなければ進めないような状況におられるのではないかと思います。聖書は1000ページを超える書物であり他に励ましになるような言葉もあると思いますが、わたくしの知っている中からご紹介させていただきます。

この「子」には「アブラハムの」という修飾語が付いていますがイスラムの方だから該当するとか、仏教の方には該当しないということではありません。なぜなら、今日登場していますザアカイは自国民でありながらローマに仕えている立場にいた方だったからです。そしてこのルカによる福音書も異邦人テオフィロあてに書かれたものだからです。すなわち、「アブラハムの」は「神の」という意味で用いられていると考えて良いと思います。

主イエスは律法の教師でした。西欧では宗教家もプロフェッションの中に数えられています。プロフェッションのフェッションは誓うという意味です。イエスがザアカイに語った言葉は気休めではなく神の前で語られた言葉でした。

誘惑や失望や恐れや痛みはひとりで負うものではありません。神がおられるからです。危険なところだからこそ神は共にいて下さると思うのです。「神様」と、祈りつつ生活して良いのです。子のために神が傍にいてくださるのです。どんな状況に置かれてもすべての人にとって人生はひとりではないのです。

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