「みなしごとはしない」(ヨハネ14章18節) ( 3.23/2014 )
「わたしはあなたがたをみなしごにはしておかない。」(18節)

ヨハネによる福音書のイエスには神から遣わされた者という使信があります。すなわち、今日ご紹介させていただく聖書の言葉が伝えようとしていることは神という存在がわたくしたちをひとりにはしないというメッセージが語られているということです。

ヨハネによる福音書のどこにそれが現れていますかと問うていただくとするならば、遠い将来に起こることを始めに語り、その後、そのことは現在のあなたの生活の中に既に起こっているのですと語ることを通してそのメッセージを告げています。

具体的には、イエスの告別説教の14章3節に家を用意して迎えに来ると約束し(再臨のこと)、ところが14章23節では住まいは天ではなく心の中にあると約束されておりイエスが弟子たちのために家を準備するのではなく、弟子たちがイエスが父と呼ぶ神とイエスのために住まいを心の中に準備するようにと語っています。そして、再臨の日の出来事に関しては19節、20節のように信者の心の中に既に実現してしまったかのように語っています。

同様に永遠の命については知ることとして紹介されており(17章3節)、死人の復活と裁きも未来に起こる出来事にとどまらず現在のこととして語られています(5章24節、3章18節参照)。なぜ、将来の出来事を現在のこととして語る必要があったのでしょうか。タイセンという先生は、「終末論的救済がこのように人間の現在の生の中へ移し替えられることによって、イエスおよび彼の使信は永遠の神と無時間的に向き合うものとなる。キリストは天から遣わされたものであり、彼を通して神が人間に近づきうる存在となる」(「新約聖書」(歴史・文学・宗教)222ページ)と解説してくれています。

ヨハネの手紙はヨハネによる福音書が小アジアの人々に合意されるための論考だと言われています。ヨハネによる福音書は神からの使者としてのイエスを紹介しています。そして彼と彼が証ししようとしている神が受け入れられるために書かれたヨハネの手紙の中で繰り返されるメッセージは愛です。わたくしたちは小さな愛を記憶しておりそれらの思い出によって励まされ支えられています。愛だけでなく日常生活さえもみなしごにはされていない証しなのかもしれません。電話も声で人物が特定できるようにたとい何も見えなくても神は何かを伝えようとしくださっているのかもしれません。そしてやがて肉体が衰えすべてを忘れ去ってしまうことがあったとしても、その時こそ全ての人のための神は何らかの方法で今日の聖書の言葉を語ってくださるのかもしれません。

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