「人間の力の限界を超えた問題に関する考察」(マタイ4章4節) ( 4.13/2014 )
「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(4節)

イエスは悪魔から石をパンに変える誘惑を受けます。これは出エジプト記16章1節から8節の故事に由来しています。過去においてイスラエルの人々が受けた誘惑がここで繰り返されています。

ところで、イエスが受けた石をパンに変える誘惑は人間の力の限界を超えた問題です。これと同じように人間の手に負えない問題はわたくしたちの人生に数多く存在します。そんなとき、わたくしたちはどう対処すればよいのでしょうか。

主イエスは「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」と言いました。彼の言葉によれば神がその問題に関して責任を持ってくれているのです。すなわちその問題の結果は神に依るというのです。

ここで、悪魔の役割が少し見えてきます。それはイエスに神的能力があるかのように持ち上げ(主イエスに限っては実際に持っておられたとしても)、神の役割を行わせようと誘惑しているのです。しかし、イエスは人間の位置にとどまることを通してこの誘惑に対処しました。

自らのために神の力を利用しない、このことが主イエスの十字架への道につながっているのだと橋本滋男(ハシモトシゲオ)という先生は解説してくださっています。(『新共同訳 新約聖書注解1』47頁参照)え〜っ、神って願い事を叶えてくれる存在じゃないの〜と不思議に思われるかもしれません。確かに人間の限界を超えた問題に触れてくれているお方です。ただ、そのお方に指図できないということだと思うのです。十字架と思える辛い問題も、なぜ私なのかと思える問題も、神という存在を信頼してみようよ、とイエスは教えたのではないでしょうか。

神に信頼するからこそ、神の口から出る一つ一つの言葉から希望を受け取れるのではないでしょうか。生きることもあり、死ぬこともあり、辛いこともあり、嬉しいこともあるのです。ただ、神の言葉に因るゆえに、思い悩むなと教えてくださっています(マタイ6章25節、前掲書参照)。つらい時も神に任せてみようではありませんか。

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