「メシアとされたイエス」(使徒言行録 2章36節) ( 6.8/2014 )
「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです。」(使徒言行録 2章36節)

使徒言行録とは簡単に表現しますと、初代教会の指導者たちの証し集です。恐れで一杯になっていた弟子たちの心(ヨハネ20章19節)に何が起こったのでしょうか。また、どのようなメッセージによって彼らの人生は変えられたのでしょうか。一言で表現しますと、神はイエスをメシアとされた、というメッセージでした。
主イエスは、わたくしたちにとって

1.力
聖書は旧約、新約と両書簡合わせまして1900頁を超える書物なのですが、苦しみの書とも言えるほど、生々しい人々の叫びがそこには記されています(マタイ15章22節、マルコ1章41節他)。しかし、現代、わたくしたちは神を求め神に期待しているでしょうか。聖書は、神が救い主としてイエスをお立てくださり、イエスによって新しい人生がもたらされることを教えています。このイエスに信頼することにより神の事業は始まるのです。

2.目標
「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒の働き1章8節)十字架につけられて殺されたイエスを、神は復活させ、主としメシアとなさったことにより、安心して、イエスの生涯に倣って良いことが示されたのです。苦しみを受けることがあっても、主イエスが慰めてくれるでしょう。主イエスの生涯に倣って歩むとき、神は喜んでくださるのです。

3.神からのメシア(救い主)
暗い道を歩むとき、頼りになるのは街灯です。弟子たちはイエスの十字架刑の時に逃げ出したのですから、最も暗い道を歩んでいたと思うのです。しかしそんな彼らが悔い改める機会を得ました(38節)。そして彼らは神に近づくチャンスをつかんだのです。今も、何の美点や功績も必要ありません。通える範囲にキリスト教会があるのではないでしょうか。是非訪ねてみてください。今、自分がどこに立っていて、今後どのように生活すればよいのか道を教えてくれるでしょう。悔い改め、洗礼を受け、罪の赦しを受け、賜物として聖霊を受け、大切にしましょう(ガラテヤ5章25節)。神に立てられた主イエスに遠慮せず助けを求め続けましょう。

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