「救えるのは神のみ」(マタイ8章5節〜13節) ( 8.3/2014 )
「いっしょに食卓に着きます。」(11節、新改訳)

この百卒長の出来事を通して、救いのわざは、人の力を超えた神から来ることを主イエスが証ししてくださっていることが分かります。救いは神から来ます。

1.神の権威という信仰

百卒長というのは権威者であったということが、9節の記述からわかります。お金持ちだったでしょう。多くのものを持っていたでしょう。彼は社会貢献もしていたでしょう。しかしここで注目されているのは、神の権威に服するという信仰でした。

2.苦しみを救いに

彼は信仰深かったのに、現状では酷い苦しみにあっている愛する方を思って、更につらい思いをしていたでしょう。(神の栄光って、何だ)とつぶやきたくなることもあったかもしれません。しかし、彼は華々しい献身的な奉仕でなく、彼の信仰で突破口を得ました。それは、救いは神によるという信仰でした。

3.神の愛

ルカ15章20節には神の愛が示されています。信仰なんて、簡単に持てません、という方もおられるでしょう。ただ困っているという現状は認めます、という方もおられるでしょう。聖書を読みますと、神の下に集うために、立派な何かを整える必要はありません。百卒長もプライドをへし折られた状態だったかもしれません。しかし神は、今のままの姿を受け入れてくださるのです。

ただ、うつむかざるをえなかったとしても、神に助けを求めるなら、ひどく苦しんでいる愛する方々も、神の栄光(愛)を見せていただけるでしょう。神が受け入れてくださるのです。それを神の教会で体験できるのです。神がご準備くださる天の国の食卓のように暮らせたら幸いではないでしょうか。ただわたくしたちを愛してくださる神だけは崇められてくださるので、誇るところが無くても安心して、神に愛の中で導かれましょう。

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