「キリストの受肉」(ヨハネ15章13節) ( 8.17/2014 )
「人がその友のために自分のいのちを捨てること、これよりも大きな愛はない」(口語訳、13節)

先週は、主イエスが残した「平安」とは、「愛」のことだったのではないか、ということを考えてみました。本日はキリスト受肉により現されたメッセージを学びましょう。キリストの受肉は、

1.苦しみ

「人が」とは、主イエスが人となられたことを意味しています。ペトルス・アベラルドゥスは、「キリストにおける神は、われわれの人性を自身と結合させ、その同じ本性をもって苦しむことによって、キリスト自身が『これ以上に大きな愛はない』(ヨハネ15章13節)と語った至高の愛を示したのである。こうして我々はキリストの恵みによって断ち切ることの出来ない愛の絆によってキリストおよび隣人と結合される」(※1)と説明しています。キリストは社会を破壊したのではなく、苦しむことを通して神の愛をわたくし達の社会に持ち込んだのです。主イエスも苦しまれた社会に、今、生かされています。

2.教え

主イエスはご自分の命を与えて下さいました。このことについてアベラルドゥスは、「神の子が我々の本性をとった。それによって死に至るまで言葉と例との両方をもって我々を教えることを引き受けたのである」(※2)、と説明しています。ひと歩みひと歩みのために、主イエスという確かな例が与えられているのです。

3.愛を与えた

罪の濁流に飲まれてしまうとき、社会から顔を出して、何ものも汚しえない(自分の命を捨ててくださった)最高の愛を呼吸して生かされましょう。アベラルドゥスは、(※2に)続けて、「こうして我々を愛によって自らと結びつけた」(※3)と言っています。彼の愛はわたくし達の内に生きているのです。愛の絆で隣人とも繋がっています(※1)。 

(※1〜3 「キリスト教神学入門」 A・Eマクグラス著 教文館 581頁より)

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