「十字架で心を」(ヨハネ13章1節〜20節) ( 8.24/2014 )
「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる。」(口語訳8節)

イエス・キリストの生涯における重要な出来事のひとつは十字架です。この十字架は生き方と態度という視点で見る時に、殉教者としての模範を表していると考えられます。しかし更に深く、十字架の秘義について考察するとき、主イエスは救い主なのです。

1.十字架、それは生き方なのか秘義なのか

十字架がわたくしたちの人生に何をもたらしたのか、そのことを考えてみたいと思います。まず、殉教者としてのキリストという視点は、道徳的改善を与える力にとどまると考えられるのではないでしょうか。この場合の問題点は、心は変わっていないということです。律法と同様で、形を教えることはできても、心、すなわち、愛まではなかなか到達できないのです(マタイ22章36節〜)。ブレイズ・パスカルは有神論無神論に関係なく、心の底にある神への憧れが神の存在を表していると言いたかったのではないかと思うのですが、もし、その「心のあり様」が変わることが出来たなら、それこそ、本当の幸せではないでしょうか。わたくしたちは心を持つ存在です。十字架を模範としてだけでなく秘義として捉える時に、「心」の変容の為に、十字架に期待できるのではないでしょうか。

2.十字架の秘義

フリードリヒ・シュライアマハ―は、「贖いとはキリストとの生きた影響に入ること」と言いました。「影響」とは、変化を求める非常に重い言葉に感じられます。しかし、心に生まれるお方はキリストです。彼にうながされるだけなのです。

3.ヨハネの福音書の洗足

ヨハネの福音書には主イエスが弟子たちの足を洗ったと記されています。弟子のペテロは足だけでなく他の部分も洗ってくださいと頼むのですが、イエスの答えは、足を洗ったら他の部分を洗う必要は無いと答えています。足とは何を意味しているのでしょうか。恐らく、それは最も汚れたところであり、神に向かって叫んでいるところ、すなわち、わたくしたちの心を指しているのではないでしょうか。主イエスこそ、わたくしたちの心を洗ってくださるお方なのではないでしょうか。

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