「文字と霊」(ローマ8章15節) ( 9.7/2014 )
「あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは『アバ、父よ』と呼ぶのである。」(ローマ8章15節、口語訳)

ローマ人への手紙では文字と霊の二つの世界が比較してあります。この手紙を書いたパウロ自身も迫害者であった過去を持ちながら伝道者になっており、このことが同胞ユダヤ人が救いに至るという信仰の根拠になっています。二つの世界を比較しながら彼が伝えたかったのは、

1.文字の人生

文字とは律法を表しています。日本人の場合は自分の信念がこれに相当するのではないかと思います。そして、律法を熱心に追い求めて行き着くところは、みじめさ、すなわち罪です。罪とは神との間を隔てるものを指します。

2.霊の人生

文字の人生が聖書の言葉で自分の好きな人生を建て上げていくのに対して、霊の人生は、聖書の中に自分の人生を認める生き方のことを言っています。神の主権を認めるので、熱心に聖書を調べ、約束を履行してくださる神を仰ぐのです。自分の好みで聖書の言葉を選べないので当然叫びたくなるような苦しみも起こります。

3.神の愛は引き離されない

神の主権の中に身を置くことは楽ではありません。しかし、神は主イエスをわたくしたちに与え、「アバ、父よ」と呼ぶ御子の霊を賜ったと、聖書が証言しています。子は気まぐれで、時に父を忘れることもあるでしょう。しかし、父は子がどんな状態でも愛し続けています。神の思いと自分の願いの間で苦しむとき、父も共に苦しまれるのです。もし、(みことばの中に自分を置けますように)と祈れたなら、神の愛は見つかるはずです。 「しかし、わたしたちを愛してくださった方によって、わたしたちは、これらすべての事において勝ち得て余りがある。わたしは確信する。死も生も、天使も支配者も、現在のものも将来のものも、力あるものも、高いものも深いものも、その他どんな被造物も、わ たしたちの主キリスト・イエスにおける神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのである。」(ローマ8章37節〜39節、口語訳)
「『キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来て下さった』という言葉は、確実で、そのまま受けいれるに足るものである。わたしは、その罪人のかしらなのである。」(1テモテ1章15節、口語訳)

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