「信仰はあとから」(ヨハネ2章1節〜11節) ( 9.14/2014 )
「料理がしらは、ぶどう酒になった水をなめてみたが、それがどこから来たのか知らなかったので、」(9節)

ヨハネの福音書にはカナの婚礼と言われる出来事が記されています。これは婚礼の席に招かれた主イエスが水をぶどう酒に変えた奇跡についての記録です。登場人物はイエスの母マリアとしもべたちと料理がしら、そして主イエスです。この出来事の最後に、料理がしらは「それ(ぶどう酒)がどこからきたのか知らなかった」と言っているのですが、彼のような主イエスと関係のない生涯よりは、多くの喜びを主イエスと分かち合えるようになりたいと願います。そのためには、

1.母マリアの判断

ぶどう酒が無くなるという不測の事態に遭遇して、彼女は主イエスに相談しました。

2.解決を主イエスに任せた

主イエスが示した解決の方法は、ぶどう酒となんの関係もない水を汲むという方法でした。通常では理解できず耐えられない方法でした。しかし、マリアはそれを実行してほしいとしもべたちに頼んだのです。(Uテモテ4章2節、マルコ4章32節参照)

3.信仰はあとから

水を汲む奉仕に携わる機会を得なかった料理がしらは、なぜ良いぶどう酒が最後まで取っておかれたのか理解できませんでした。しかし、ぶどう酒とは関係のないように思える水を汲むことに携わったしもべたちは、自分たちが、主イエスが命じた事柄を黙々と行ったことを知っていました。水とぶどう酒との関係を理解できなくても、主イエスが命じられる普通のことを行う信仰は持てるのではないでしょうか。信仰は、自分の責任で生み出すのではなく、主イエスが後から見せてくださる事柄を通して確かなものにしてもよいのではないでしょうか。

人生には人間のできる分野と神が受け持たれる分野があるのではないでしょうか。水を汲むような普通の奉仕を通して、主イエスは出会おうとして待って下さっているのではないでしょうか。神は喜んで主イエスに聞き従う者たちの為に、ぶどう酒以上のわざを見せてくださるはずです。彼にお任せいたしましょう。奇跡は主イエスに属する分野なのですから。

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