「わたしの愛」(ヨハネ15章9節) ( 9.28/2014 )
「わたしの愛の中にとどまりなさい。」(9節)

人は自分自身を自分の持っている愛の大きさで測ってしまうのではないかと思います。しかし、聖書が教えているのはキリストの愛で自分を測ることなのです。

1.キリストとの出会い

キリストの愛で自分自身を判断しようにも、キリストとどこで出会えば良いのでしょうか。それは、自分の弱さの真っただ中でキリストと出会うのです。自分自身を罪人と断罪しているその所に、キリストは居て下さいます。

2.キリストの十字架

十字架の贖罪は弟子たちが作り出した教理、すなわち産物であると言われた時代もありました。しかし、キリストの十字架が自分の罪のためだったという信仰を与えるのは、いつの時代にも、罪に向き合った人間のためになされる、聖霊以外にはできない業なのです。使徒パウロは「信仰による義」(ローマ1章17節)と言いました。これはキリストを信じる信仰による義です。罪の赦しは聖霊がキリストの十字架の重さを解き明かされる時に確かにされます。

3.キリストの内住

聖書の(義とされよ)というメッセージは脅迫ではなく、神からの恵みの宣言です。自分で自分を洗うのではありません。ピリピ人への手紙には「神からの義」(ピリピ3章9節)と説明されています。(実際は罪だらけなのに、どこに義があるのよ)と問われるならば、内にいて下さるキリストに義があるのです。

罪人を救うために来てくださっているキリストを受け入れ、光を受け、彼の御声に対して従順に歩む時にキリストは違う世界を見せてくれるのではないでしょうか。今まで愛せなかった所(律法に照らして受け入れられなかった所)に、キリストの愛を持ち込みましょう。くれぐれも自分の義ではなくキリストによる神の義を、そして自分の愛ではなく、主イエスの愛を持ち込んでみましょう。そして、彼の愛にとどまりましょう。罪の中にキリストだけは共にいて下さるのですから。

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