「一緒にいる」(ルカ23章39節〜43節) ( 10.5/2014 )
「するとイエスは、『はっきり言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる』と言われた。」(43節)

ボロボロの状態になったとしても、答えてくれる方がおられると聖書は証言しています。それは、主イエスです。どんなに困難な状況に陥っていても

1.主イエスは「一緒にいる」と言われる

人生の中でこれほど力強い語りかけはないのではないでしょうか。人というのは元来罪深く孤独なものではないでしょうか。十字架という形ですべての罪が裁かれた犯罪人に対して主イエスは「一緒にいる」と告げてくださいました。

2.どのようにして主イエスに出会うのか

多くの人は罪の告白を聞くと怖がって逃げてしまうでしょう。それが罪に取り組むことを避けてしまう理由だと思います。しかし、罪の告白を聞いても逃げることなく、耳をふさぐこともなく聞いて共に居てくださるお方が主イエスです。彼が立ち去るのでは、という思い込みを捨て「わたしを思い出してください」と、相談することです。

3.今後どのように生活すればよいのか

犯罪人の人生を導いてきたのは、恐らく自我(自己実現)でありましょう。一方、主イエスは神の御心が実現することを願いました(マタイ12章50節、マルコ3章35節、ヨハネ6章38節、ヨハネ9章31節、へブル13章21節参照)。最も身近な例で言い代えますと、聖書の言葉が成就することを願い努力しました(イザヤ61章1節)。

罪人であるにもかかわらず、主イエスは友でいてくださるのです。
「しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。」(ローマ5章8節)
この方がおられるなら、世とは違う生き方も寂しくないのではないでしょうか。これは主イエスにしか出来ない生き方です。神はよみがえられた主イエスをわたくしたちに与えて下さったのです。彼の実在を認めましょう。きよくされていく将来も彼に依るのです。彼の御前にへりくだる以外に道はないのではないでしょうか。

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