「愛のための鍵」(エペソ5章25節) ( 10.19/2014 )
「自分の妻を愛しなさい。」(25節、新改訳)

人は結婚する前から相手のことをよく観察し悪いところも知っているはずですが、結婚したとたんに、その一つ一つが改善されることを期待します。ところが、人はなかなか自分の力では自分自身を変えることが出来ないのです。

1.主イエスに出会った人々

重い皮膚病に侵された方が自分が癒されたことを感じて主イエスの元に帰ってくるという話があります(ルカ17章11節〜19節)。これは、不思議な話です。病気が治った後に再び病院に行く人はいないと思うからです。恐らく聖書記者は、重い皮膚病以上の問題をわたくしたちは抱えているということを伝えたいのだと思います。それは、主イエスの元に帰って来て気づかされることなのだよと言いたいのではないでしょうか。

2.主イエスの元で

先に記しました重い皮膚病の患者さんの仲間は他に9名おられました。しかしその方々は主イエス以外の人に病が癒されたことを伝えに行きました。至極当然の行動です。しかし、聖書記者が訴えたかったのは隣人が自分の無罪を認めてくれるのではないということだったのではないでしょうか。誰のところに行けばよいのでしょうか。主イエスは皮膚病以上の問題を解決してくださるのです。

3.罪人の愛

真の聖書記者は、すべてを知っていて下さる神です。わざわざ主イエスの元に戻って来て、聖なる存在の前に立たされて、確かに、自分にも、足りないところがあることに気づかされることのどこにメリットがあるのでしょうか。それは、隣人の罪を赦す生活をおくれるようになるということではないでしょうか。

主イエスはわたくしたちを赦すためにご自身のすべてをささげ尽くしてくださいました。もう、何も残っていないのです。ゆえに、わたくしたちに与えられている命は、主イエスの命(聖霊に依るもの)であると言えないでしょうか。愛のための鍵は、主イエスの命ではないでしょうか(1ヨハネ3章16節参照)。罪人の愛で良いのです。但し、それは主イエスのわざにすぎないのです。

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