「神への感謝」(ローマ7章24節〜25節) ( 10.26/2014 )
「私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。」(25節)

使徒パウロは自分自身の真相を見つめつつ、神に感謝できるようになりました。わたくしたちにも彼が受け取った恵みが必要ではないでしょうか。

1.みじめな人間

何というみじめな人間なのだろう、というのは真面目な人なら誰しも体験されることではないでしょうか。隣人をゆるせなかったり、いじめてしまったり、傷ついたり、愛せないことに自分自身の醜さを見出すのです。そして、何よりも愛される存在に閉じ込められることに苦しむのです。聖書はすべての人が罪びとであることを宣言しています。ゆえに、神の御子イエスによる贖罪という神の愛を皆が必要としているのです。

2.主イエス・キリストを通して

主イエスを信じる生涯に入れられて立派なクリスチャンになるのではありません。ただ、主イエスに生きていただくことに同意するだけです。クリスチャンも、時としてゾンビのように自分自身を復活させて生活していることがあるのではないかと思います。ゾンビは一所懸命に生活しているのですが、様々な問題に遭遇して傷つき苦しむのです。しかし、聖書はただ「主イエス・キリストを通して神に感謝致します。」と宣言しています。罪から救われる道は自分の力ではなく主イエス・キリストだよと説明してくれています。

3.神への感謝

神への感謝の内容は、ただ、主イエス・キリストです。本当は皆、自分自身を感謝したいのではないでしょうか。(こんな自分にしてくれてありがとう)のような想いに憧れるのではないでしょうか。しかし、この問題の解決者は、わたくしたちの心に弱さが残っているにもかかわらず、主イエス・キリストであり、わたくしたちのわざではないのです。

教会で遊びまわる子どもたちの姿に幸せを感じることがあります。彼らは心に主イエスをお迎えしただけで神を見上げるように変えられたのではないでしょうか。自分の解決方法を捨てて主イエス・キリストを信じるようにと、神は待っていて下さるのではないでしょうか。人のどんな力も主イエスの十字架の代わりにはなりえないのです。主イエスの十字架のゆえに不十分な自分さえも感謝できるのではないでしょうか。

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