「少しでもきよく」(1ヨハネ1章1節〜10節) ( 11.2/2014 )
「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しい方であるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」(9節)

問題の解決が主イエスのみによるというのならば、自分の弱ささえも感謝できると先週学びましたが、主イエスは何をして下さるのでしょうか。

1.あがない

毎朝洗顔し歯を磨きひげをそってから人前に出るように、主イエスとの出会いがすべての用事よりも優先されるとよい生活ができます。毎朝、主イエスがわたくしたちのすべての罪を負って十字架上で死んでくださり、わたくしたちのすべての罪を赦し、わたくしたちを罪赦された者としてくださったことを思い出してから一日を始めましょう。そして家を出て人ごみの中に入ってからもう一度、そのことを思い出すとよいのではないでしょうか。あがないという罪のゆるしの行為(「罪過の赦しを受けた」エペソ1章7節)は他の喜びに勝るものです。出来るだけ高く掲げて一日を始めたいものです。

2.きよめ

聖書は、御子イエスの血がわたくしたちをきよめ続けると教えています。川の中の石は水に洗われ続けています。石がきよいというよりも石は水の流れにつかり続けているだけなのです。わたくしたちも御子イエスの十字架のそばで生活したいものです。毎日食事を続けているように、食事の度に主イエスを思い出して、彼によって罪を取り去って頂きましょう。

3.弱さの中に働いてくださる

毎朝、会社や学校、家事のために実行しなければならない課題のメモを書いておられるのではないでしょうか。聖書は「罪がないというのなら、神を偽り者とするのだ」と言ってくれています。この記された課題の中に罪が潜んでいるということです。自分を見出そうとする営みの中に罪があるのでは、と思うのです。しかし、「もし、わたしたちが自分の罪を告白するならば、神は真実で正しい方であるから、その罪をゆるし、すべての不義からわたしたちをきよめて下さる。」と語られていますので、主イエスはその弱さの中に共にいて下さり人生をつくり変えてくださるお方です。わたくしたちが自分の罪を認める時、彼は必ず良い決断を与えて下さり、良い方向に伴ってくださるはずです。

何をしているのか分からない自分の弱さの中にキリストの命を認め(ルカ23章34節)、彼に伴われて光に向かって歩み出しましょう。

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