「神の御子の誕生によって」(へブル2章15節) ( 12.21/2014 )
「死の恐怖のために一生涯奴隷となっていた者たちを、解き放つためである。」(へブル2章15節)

クリスマスおめでとうございます。クリスマスは神のひとり子、主イエスの誕生をお祝いする日です。西暦は主イエスの誕生を境にして2014年を数えています。神の御子の誕生によって何が変わるのでしょうか。

1.命の長さ
主イエスの弟子たちが「救い」を受け取ったのは主イエスの死後、主イエスのよみがえりの後、悔い改めて聖霊を受けた後でした。弟子たちもわたくしたちと変わらない弱さを持っていたということです。しかし、復活して天にのぼった主イエスはわたくしたちにも聖霊(御霊)を送り永遠の希望を与えて下さっています。「もし、死人の中からよみがえらせたかたの御霊が、あなたがたの内に宿っているなら、キリスト・イエスを死人の中からよみがえらせたかたは、あなたがたの内に宿っている御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだをも、生かしてくださるであろう。」(ローマ8章11節)。ここに復活の希望があります。(ピリピ3章21節、1コリント15章49節〜53節参照)

2.愛のはじめ
苦難によって神がきらいになった、ということはありませんか。「自分と同じようにあなたの隣り人を愛せよ」と聖書は教えています。続けて隣人とは誰かと聖書の登場人物は質問します(ルカ10章29節)。その時、主イエスは自分を罪人として差別し高ぶっているにもかかわらず強盗に遭い傷を負わされ倒れている人を隣人と定義しました。自分をさげすんでいる人に手を差し伸べる、そんなときが本当に来るのでしょうか。主イエスは十字架にかけられながら、自分をののしり、つばをかけ十字架に付けた人々がゆるされるようにと祈られました。実は、彼の愛は神を否定してしまうわたくしたちのために注がれています。罪の中から神の愛は始まるのです。

3.神のわざ
時に疲れてしまうことはありませんか。それは聖霊を思い出すときなのかもしれません。そんな時、例えば、(聖霊に信頼しておりませんでした。すみませんでした。)と、お祈りしてみてはいかがでしょうか。自分の力で解決できないことを、しなければならないことと重荷に感じないで、ただ聖霊にお任せしてみようではありませんか。キリストが木にかけられのろわれたのは、わたくしたちが律法ののろいから贖われて約束された御霊を信仰に依って受けるためでした(ガラテヤ3章14節)。神のわざは、わたくしたちのわざによるのではなく、御霊によるのです。主イエスの十字架に依り、御霊の後に歩むことができるのです。

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