「うちにいますキリスト」(コロサイ1章27節) ( 1.4/2015 )
「神は彼らに、異邦人の受くべきこの奥義が、いかに栄光に富んだものであるかを、知らせようとされたのである。この奥義は、あなたがたのうちにいますキリストであり、栄光の望みである。」(コロサイ1章27節)

コロサイという町は紀元60年頃の地震により消滅しておりますので、執筆年代は60年より前ということになります。キリストへの信仰をユダヤ教のトーラーで補足する必要があると説く働き人たちに対して、キリストのみ、の信仰を勧めています(2章6節〜23節)。内にいますキリストは、

1.言葉を変える
3章19節に「夫たる者よ、妻を愛しなさい。つらくあたってはいけない。」とあり、1章20節〜23節には、「そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。あなたがたも、かつては悪い行いをして神から離れ、心の中で神に敵対していた。しかし今では、御子はその肉のからだにより、その死をとおして、あなたがたを神と和解させ、あなたがたを聖なる、傷のない、責められるところのない者として、みまえに立たせて下さったのである。ただし、あなたがたは、ゆるぐことがなく、しっかりと信仰にふみとどまり、すでに聞いている福音の望みから移り行くことのないようにすべきである。この福音は、天の下にあるすべての造られたものに対して宣べ伝えられたものであって、それにこのパウロが奉仕しているのである。」とあります。わたくしたちの言葉が変えられるために、キリストの命が捨てられました。言葉はそれほど重いものなのです。

2.支配者を変える
1章13節〜14節に「神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。」不平不満は自我の印です。しかし、苦しみも主イエスのご支配の印と信じるときに平安に変えられます。けれども、また不満が起こってきます。しかし、また悔い改めれば良いのです。

3.力を変える
1章27節にありますように、うちにいますキリストが奥義です。彼が力だと聖書は教えてくれています。わたくしたちの力をあきらめて、うちにいますキリストの力に頼ろうではありませんか。

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