「教会の証し」(ガラテヤ3章27節) ( 1.11/2015 )
「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。」(27節、新改訳)

キリストの共同体が証ししているものとは何なのでしょうか。

1.律法ではない
3章13節に、「キリストは私たちのためにのろわれた者となって、私たちを律法ののろいから贖いだしてくださいました。」とあります。ですから、先週一週間がどのような一週間であったとしても、神に喜ばれることを何も行えなかったと思えるような一週間であったとしても教会に集って良いのです。

2.キリスト
24節に「律法は私たちをキリストに導くための私たちのための養育係となりました」とあります。すなわち、嫌だな、と罪の重さを感じる時こそキリストが待ってくれている時だというのです。自分なんか無理だと思える時ほど、キリストは門を大きく開けて待っておれるのです。

3.皆でひとつの証し
28節に「あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです」とあります。教会が証しすべきことはたった一つしかいらないというのです。それは、主イエスです。律法の行いによって義と認められる人はいないと聖書は告げています。教会は律法と出会うために集うところではなく、キリストと出会うために集うところです。不安や恐れや憎しみなどにあらがえないと思えるときに足りないものは、ただキリストなのではないでしょうか。

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