「敵意を取り除いた主イエス」(エペソ2章1節〜22節) ( 1.18/2015 )
「また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。」(16節、新改訳)

キリスト教会には何があるのかと言いますと、主イエスへの信仰があります。1月17日で阪神淡路大震災から20年を迎えましたが、今も聖書は主イエスを信じる道があることを語っています。
エペソ人への手紙にはユダヤ教出身のキリスト信者と異邦人出身の信者が互いに尊敬し合い一致できるようにという意図があります。人生の不平や不満の持って行き場が分からず、苦しんでいたであろう彼らに示された解決の方法は主イエスへの信仰でした。主イエスへの信仰に依って三つの敵意(律法)が取り除かれたのではないでしょうか。

1.神への敵意
自然災害や病や事故は主イエスの十字架を知らなければ、神からの罰として受け止められかねません。しかし、主イエスの十字架の故に、「キリストの血によって近いものとされた」(2章13節、新改訳)とありますように、キリストの故に、神は既に敵でなくなっています。

2.隣人への敵意
時として、不幸の責任を為政者に求めたくなるのではないかと思います。しかし、人の幸せを左右するものは神から来る信仰であり、その信仰は神からの一方的な恵みに依ると聖書は伝えています「あなたがたは恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。」(2章8節、新改訳)。天に座しておられる主イエス(2章6節)が今共にいて下さることを信じる信仰を与えられた瞬間から、敵意についての解決が始まるのではないでしょうか。

3.主イエスへの敵意
私たちは御子の血によって罪の赦しを受けています(1章7節)。そして、2章5節には「罪過の中に死んでいたこの私たちをキリスト共に生かし」とあります。キリストが共に生きていて下さるのです。まだ罪過が残っていると感じる時も、それは、解決者は共にいて下さる主イエス・キリストなのですというメッセージなのではないでしょうか。生きておられる主イエスにお任せしようではありませんか。

TOP