「既に播きて生え出づれば」(マルコ4章26節〜32節) ( 2.15/2015 )
「それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときには、地に蒔かれる種の中で、一番小さいのですが、それが蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」(31節〜32節、新改訳)

「あなたはいったいだれなので、他人のしもべをさばくのですか。しもべが立つのも倒れるのも、その主人の心次第です。このしもべは立つのです。なぜなら、主には、彼を立たせることができるからです。」(ローマ14章4節、新改訳)神は人を裁くことを喜ばれません。今は小さい群れかもしれませんが神は育ててくださいますので、質的に良いものを持てるように、神の言葉を聴いて整えていただきましょう。「われら神の国を何になずらへ、いかなる譬をもて示さん。一粒のからしだねのごとし、地に播く時は、世にあるよろずの種よりも小さけれど、既に播きて生え出づれば、よろずの野菜よりは大きく、かつ大いなる枝をいだして、空の鳥その蔭に棲み得るほどになるなり」(マルコ4章30節〜32節、文語)

1.へりくだった群れ
「『キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた』という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。」(1テモテ1章15節、新共同訳)「あなたがたがわたしを選んだのではありません。わたしがあなたがたを選び、あなたがたを任命したのです。それは、あなたがたが行って実を結び、そのあなたがたの実が残るためであり、また、あなたがたがわたしの名によって父に求めるものは何でも、父があなたがたにお与えになるためです。」(ヨハネ15章16節、新改訳)「神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる。」(ヤコブ4章5節〜6節、新共同訳)自分自身の罪を赦していただいたことを忘れずそのようなわたくし共を神が選んでくださったゆえに、神の御前にへりくだりましょう。

2.天の開かれた群れ
天が開かれているとは、祈れるという意味です。「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、…すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」(エペソ6章11節〜18節抜粋、新改訳)祈りだした瞬間から悪魔は手を出せなくなるのです。祈り続けましょう。

3.十分の一の実を結ぶ群れ
「イエスは彼らに言われた、『わたしについてきなさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう』。」(マルコ1章17節)天が開かれ、神との交わりが生まれ、生きておられる主イエスの御声を聴いてついて行くなら、人を導く光栄に与れるというのです。「 わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。」(マラキ書3章10節)食べ物だけでなく、十分の一の方々と共に主イエスの御前に立つことを目標とさせていただきましょう。風を恐れず(伝道11章4節)、涙をもって種を蒔き、喜びと共に刈り取りましょう(詩篇126篇5節〜6節)。

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