祝宴(イザヤ書25章1〜12節) ( 9.20/2010 )
『万軍の主はこの山で、すべての民のために肥えたものをもって祝宴を設け、久しくたくわえたぶどう酒をもって祝宴を設けられる。すなわち髄の多い肥えたものと、よく澄んだ長くたくわえたぶどう酒をもって祝宴を設けられる。』イザヤ書25章6節 

この夏は大変暑くご高齢の方にはつらい日々であったと思います。けれどもその中にも神は祝宴を準備していると証しされています。この25章の前半は強い民としてバビロニアという大きな帝国が神の力により滅ぼされてしまうという預言と共に人々のために「あなたは貧しい者のとりでとなり、乏しい者の悩みの時のとりでとなり、あらしをさける避け所となり、熱さをさける陰となられた。」(4節)、「また主はこの山で、すべての民のかぶっている顔おおいと、すべての国のおおっているおおい物とを破られる。主はとこしえに死を滅ぼし、主なる神はすべての顔から涙をぬぐい、その民のはずかしめを全地の上から除かれる。これは主の語られたことである。」(7,8節)と預言されています。

「おおい物」とは何でしょうか。死、涙、はずかしめでしょうか。少なくともそれが除かれると人が幸せになる物であるようです。

「主人が帯をしめて僕たちを食卓につかせ、進み寄って給仕をしてくれるであろう。」(ルカ12章37節)カナダ人のジャン・バニエは「困難の中にいるたちは私たちを祝福しようと待っている」と言ったそうです。それは、確かにイエス・キリストは困難の中に共にいてくださるからです。そこは祝宴です。

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